年間70万人の受検者が利用する、日本を代表する心理テスト

グローバル・ダイバシティ

2025/02/10

韓国サムスンでも利用された適性検査。山あり谷ありの海外進出に迫る!(前編)

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韓国サムスンでも利用された適性検査。山あり谷ありの海外進出に迫る!(前編)

目次

1. 中国進出なるか?
2. 韓国サムスンでの利用
3. 台湾高速鉄道との出会いが生んだ、わたしたちの転換点

『海外でも使える適性検査』―内田クレペリン検査にそんなイメージをお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。私が海外営業を担当し、5年以上が経過しましたが、この間もバングラディッシュやアメリカ、イタリアやトルコと、さまざまな国からお問い合わせをいただいています。国を超えて人を惹きつけるMade in Japanの適性検査。今日は少し、その裏側を追ってみたいと思います。

1. 中国進出なるか?

時は1980年代。日本に留学した中国人が、内田クレペリン検査の検査用紙を持ち帰り、教育場面やスポーツ選手の特性把握の資料として導入していました。資料に残る限り、中国で内田クレペリン検査の利用がはじまったのはこの頃だったようです。
少し針を進めて1990年代。関係筋から、中国の某企業が内田クレペリン検査の普及に関心を示しているという話をいただきます。弊社も訪中を重ね、盛んに中国人のデータ収集を行ったのがこの頃。当時の事務職員、交通警察官、農村工場工員などの人材データが集められ、それに興味を持った中国国家人事部からも問い合わせがありました。「(中国人は)控えめ・受け身の対処より、果敢で無理押しをいとわない行動をとる。仲間内の情を重んじるが、外での情には流されない。」当時の発表論文には、内田クレペリン検査の検査結果をふまえた、そんな中国人の特徴が記されています。
さて、1999年になり、中国での動きはさらに加速します。推進者の一人が、今もつながりのある北京理工大学の呉平東教授(当時)でした。呉先生の求めがあり、北京師範大学で内田クレペリン検査 検査説明会を開催したところ、各方面から60名ほどの参加者が集まってくださいました。「内田-克莱佩林心理測験」の名前で、中国心理学会心理測量専門委員会から公式な心理テストとして承認を受けたのも、ちょうどこの頃でした。
このようにさまざまな動きはあったものの、検査の利便性や海外送金の壁が立ちはだかり、なかなかビジネスにはつながらなかったのが当時の実情。中国に内田クレペリン検査販売店が設置されるのは、まだもう少し先の話です。

2. 韓国サムスンでの利用

同じく1996年頃、お隣の韓国の話です。ソウルの成均館大学校の産業心理学科に、李昌雨教授(当時)がいらっしゃいました。日本で開催される内田クレペリン検査判定講習会(現、基礎技術講座)に参加くださるほどに、内田クレペリン検査に深い関心を寄せてくださった方です。先生は韓国の産業界に大きな影響力を持っており、サムスングループ(当時は三星)の顧問のような立場でもいらっしゃいました。これが、内田クレペリン検査がサムスングループに導入されたきっかけです。
国際的に名の知れたサムスンで、内田クレペリン検査が長く使われていたという事実は、私たちにとっても誇らしい実績です。李先生のお話によると、2003年にはアフリカを含め、世界中の生産拠点で利用。サムスングループだけで、世界の30拠点、毎年5万人が受検されていたそうです。私たちが初めて内田クレペリン検査を紹介する国で、すでにサムスンを通して検査を知っている人がいたこともあるあたり、その影響力を物語っていますね。
実は、先の中国に先駆け、アジアで最初に販売店(Korea Management Association)が設置されたのはこの韓国でした。これが2000年の話です。

3. 台湾高速鉄道との出会いが生んだ、わたしたちの転換点

さて、私たちの海外進出で忘れてはならないのが、台湾高速鉄道との出会い。実はちょっぴりほろ苦い経験です。
2007年に開業した台湾新幹線は、日本の新幹線が海外に輸出された初の事例でした。開業前から、JR東海がハード面・ソフトで台湾高速鉄道を支援しており、その関係で(国土交通省令に基づき日本の鉄道各社で利用されている)内田クレペリン検査に興味を持っていただきました。これが2003年頃の話。しかし結論からお話すると、このタイミングでの台湾高速鉄道への内田クレペリン検査導入は成りませんでした。敗因を一言でいうならば、それは“導入コスト”の大きさでした。
私たちはご存じの通り、心理検査のメーカーです。物理的に距離が離れる海外においてサービス品質を担保するためには、日本国内以上に「判定結果」の提供に腐心するのです。当時、安定した判定結果を出すために私たちが提案していたのは、「判定処理ソフト(オフライン)の提供」でした。
なにせ日本国内においてもインターネットが普及しはじめたのは1995年~2000年。クラウドサービスの普及は2000年代以降のことです。当時のIT環境は、今とは大きく違っていました。当時私たちが提供していた「判定処理ソフト」というのは、ユーザーに導入コストの負担を強いるものでした。もし私たちに当時、クラウドでサービス提供するというカードがあれば、確実に検査の導入ハードルを低くできたのではないかと回顧するのです。
ですがこの無念な経験こそ、私たちのターニングポイント。このあとの新たな出会いと、IT技術の進化が、海外進出の第二フェーズを後押ししてくれることになります。その話は、また別の機会に。

韓国サムスンでも利用された適性検査。山あり谷ありの海外進出に迫る!(後編)を読む

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参考文献

総務省 令和元年版 情報通信白書

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