「アッチェレランド」リチャード・ストロス

この「読んだら・・・」カテゴリーもずいぶん放置してしまいました。。。久しぶりにご紹介する一冊はSFです。実は僕、昔からけっこうSFは好き(マニアというにはほど遠いですが)なんですが、最近はちょっとSFから遠ざかっていたもので、その遅れを取り返すべく、この二ヶ月ほど、SFばかりを集中的に読んでいます。今回は、そのなかからリチャード・ストロスという作家の「アッチェレランド」という作品をご紹介したいと思います。
読み始めるまで、てっきりアッチェレ国(ランド)を舞台にした小説だと思っていたのですが、「アッチェレランド」というのは「しだいに速く」という意味の音楽用語なんだだそうですね。たしかにこの小説、アッチェレ・ランドは登場しませんでしたが、後半に向けてどんどん加速していくところが「アッチェレランド」というタイトルにふさわしい小説でした。
ただ、その指数関数的に増していく「速さ」を除けば、とてもシンプルな構造の小説です。全体が9章(3章×3部から成っているのですが、2010年代から始まって、20年代、30年代・・・と、各一章が21世紀の10年期に対応した年代記(クロニクル)の形をとっています。登場人物も、マンフレッドという主人公と彼のファミリーを中心にしているので、そんなに混乱することもありませんし。基本的な骨組みだけを抽出すれば、マンフレッドが主人公の第一部(1章~3章)、マンフレッドの娘が主人公の第二部(4章~6章)、マンフレッドの孫が主人公の第三部(7章~9章)という、きわめてわかりやすい構造になっていて、そういう意味では「21世紀の家族の肖像」なんていう捉えかたもできるのかも。
でも、そんなシンプルな構造にもかかわらず、けっきょく読了までにけっこうな時間がかかってしまったのは、やっぱりその尋常じゃない「加速」に原因があるんじゃないかと思います。
2010年代を舞台にした第一章は、わたしたちの知っている「現在」とかなり似ている世界。それが20年代を舞台にした第二章になると、「現在」とはちょっと勝手が違う世界になっている。それでもまだ、20年代は「外国に来た」くらいの違和感で対応可能なのですが、第三章、第四章・・・と10年ごとに時間が進んでいくたびに、その変化は指数関数的に速度を増していく感じ。この感覚こそ、まさに「アッチェレランド」!
しかし。残念なことに、小説の世界がどんどん加速していく一方、読んでいる僕の脳みそ(ミート・ブレイン)の処理速度は不変なわけです。これを相対的な視点で書き換えてみれば、小説のボリュームが不変にもかかわらず、読み手である僕の主観的な読書スピードはどんどん減速していってしまうことになります。
たとえば第一章(2010年代)は1時間で読めたのに、第二章(20年代)は2時間、第三章(30年代)は4時間・・・という具合に。この計算でいくと最後の第九章を読むのに256時間かかってしまうわけです(涙)。
ふつう、小説の世界が「アッチェレランド」なら、つられて読者のペースも「しだいに速く」なっていきそうなものですが、この小説に限っては完全に反比例。読者の主観をベースにすると、むしろ「リタルダンド(しだいに遅く)」なんじゃないでしょうか。もちろん、この「リタルダンド」の原因には僕の想像力や知識の不足という個人的な問題があるのですが、一方で、このパラドクスは確信犯的に埋め込まれた仕掛けなんじゃないかという気もします。
つまり、人間の知性が世界の進化を駆動していた時代(プレ・シンギュラリティ)から、人間以外の知性が人間のそれを凌駕し(シンギュラリティ=特異点)、人間に代わって世界の進化を駆動しはじめる時代(ポスト・シンギュラリティ)を通過するときに、マンフレッドと彼のファミリーが体験したであろう世界からの疎外感(だんだん世界の変化についていけなくなる感覚)を、読者もメタ的に体験させられるわけです。
その先には、もはや人間的なハッピーとかアンハッピーでは測れない結末が待っているのですが、この読後感は、子どものころに初めて「うらしま太郎」を読んだときに似ているかも。。。え、これってけっきょくどうだったの?亀を助けた、太郎は報われたの?それとも報われなかったの?という戸惑い。。。
さてさて。亀の代わりにロブスターを助けたマンフレッド=うらしま太郎は、最後にどんな玉手箱を開けることになるのか。興味をもたれた方はぜひご一読を!



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