「イニシエーション・ラブ」乾くるみ

最近、純粋に楽しむための読書が減っていることに気づき、エンターテインメントに徹した本を何冊か買ってみました。その中でも相当に異色のつもりで敢えて選んだのがこの本です。
何でも見てやろうと言えるほどもう若くはない、と決めつけるのはまだ早いと思いたい、なんてことを考えながらピックアップしました。このタイトルと装丁、しかも著者は女性だと思い込んでいたので(実はれっきとした男性です)、数百円の文庫本を買うにはいささか大げさな言い訳が必要でした。
店頭のPOPにもカバーのあらすじにもあった、「『必ず2回読みたくなる』と絶賛された傑作ミステリー」という謳い文句をやや疑いつつ、まあとにかくそれを信じてみるか、と読み始めた訳です。
ところが読んでも読んでもどうにも気恥ずかしく、ありふれたという言葉ですら手ぬるいくらいのもたもたべたべたした恋愛モノでしかありません。しかも通勤電車で40男が読むには全くふさわしくない描写が唐突に延々続いたりします。次第に「こりゃケータイ小説か?」とさえ思えてきました。
一体どのあたりでミステリーになるんだ、あらすじにある『最後から2行目で、本書は全く違った物語に変貌する』って瞬間は本当に自分にも訪れるのか?と、ほとんど眉間にシワを刻みつつ読み進め、そして読了。
なるほど、確かに物語は最後の2行というよりは2ページで変貌はしました。しかしせいぜい、ふーんそういうことかぁ、こわいこわい、くらいの感想しか浮かばない。釈然とせず、気になってネットで探ってみると、あちこちでこの本に関する詳細な分析がされているではないですか。2時間余りもろもろ渡り歩きました。
その結果思い知らされたことを正直に申し上げると、ありがたいというかそら恐ろしいというか、これまでの自分の読書のスタイルを根本から見直した方がいいのでは、と反省するはめに陥りました。
あの会話もこの描写も、これだけ見過ごしておよそわかった気になっていたのか。ということは、で、結局どうなるのだ?どこへ辿り着くのだ?という興味に引っ張られるだけの薄っぺらい読み方で、どれだけの物語を無為に消費してしまったことか。ああ、きっとこれは本だけに限った話じゃないぞ。
姿を変えながらじわじわと押し寄せてくる読後感よりも、そんな思いの方がむしろ大きく、うんざりしてしまったほどです。
ただ、ネット上に残されたこの本に関するあまりにも詳細な分析を読んでしまった後では、すぐに再読する気は起こりません。正直なところ著者が自分と同年齢の男だということにも引っ掛かります。どうやら自分はこの本をじっくり楽しむ機会を幸か不幸か失ってしまったのかもしれません。
そしてこれからこの本を読む方が、読後すぐネットにアクセスすることについては否定も肯定もしないのですが、やはり言いたいのは、これが仕掛け以外の部分でもう少しどうにかなっている話なら、他人の解釈を読む前にもう一度読み返してみた方がいいよ、と自信を持っておススメできるんだがなあ、ということです。
[オマケ]
しかし、この文庫版のカバー写真は一体何なんだろう。これはネタバレにならないと思うので書きますが、本書の内容に全く似つかわしくありません。原書房から出版された単行本のカバーには、相当に手の込んだ仕掛けがされていたようです。



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