私は待てない!
周囲はそう認知していないようだが、実は私はとても短気だ(と思う)。
長年連れ添ってくれている相棒が言うのだから間違いない。自覚症状もある。
牛丼屋は待たせないから好きだ。
「らっしゃい」から「ありがとうございました」まで8分で済む。椅子に腰掛けながら「並で」と店員に告げると、30秒くらいで目の前に丼が出てくる。6分で食べて精算しても8分あれば十分だ。
ある時、注文して2分待たされたことがあった。「遅いな」とそれだけでちょっとイラつく。気分のペースが乱れるのだ。
スーパーのレジだって待ちたくない。でも、なぜかレジには「見習中」の人が多い。私が行くLIVINもかのdaieiもそうだ。見習中の人はテキパキとしていない(ように感じる)。別に豆腐とバナナを同じ袋に入れて一向に気にしないのに、わざわざ別々の袋に入れ直したりしている。じれったい。
まだある。交差点だ。私は正面の信号機など見ていない。チラチラと覗くのは右か左の信号機だ。それが黄色に変わるや踏み出すために重心が前に行く。だから赤が青に変わった時には既に行動を起している。人より一歩前へ。これが私のペースだ。
そんな私だが、電車では降りる乗客を待ってから乗り込む。というか当たり前のことだ(と思っていた)。でも世の中変わったらしい。降りてくる客をかき分けながら乗り込むヤカラがたくさんいる。われ先にだ。交差点とは違う。「んにゃろー、降りてから乗れよ!」とわめく。もちろん心の中で。しかしある時手が出そうになった。そんなヤカラの襟首を掴まえようとしたのだ。
待つのは苦手だが、待てない奴はもっともっと苦手、いや嫌いなのだ。
ところで、臨床(カウンセリング)の世界では、「待つこと」はとても大事だ。
日精研のカウンセリングルームは開設して30年を過ぎるが、この間、1996年にお亡くなりになるまで開設時からずっと佐治守夫先生が所長であった。私はひょんな縁で日精研に勤めることになり、その佐治先生に臨床(カウンセリング)をイロハから教えてもらうことになった。
「なぜ(そう君は)動くのだ。もっと待ったらどうだ」といつも諭された。一向に待てない自分自身に嫌気を感じていた。この「待つ」は信号待ちの比ではない。時には数ヶ月も数年も待つ。私も仕事だと思うと「待つこと」を努力した。
そしてある日のスーパービジョンでのこと、「クライエント(来談者)が少し動いたように見える」とお師匠さんから言われた。つまり、私が担当していたクライエントにカウンセリングの効果があったということである。待った甲斐が、否、待つ努力をした甲斐があったということだ。臨床の勉強をはじめて既に7年経っていた。私は自分のカウンセリングに少し先が見えた感じがしてうれしくなった。
そして後で気づいた。そうか、お師匠さんは私の成長をそれだけ待っていてくれたのだと。人の成長に付き合うというのはそういうことだと。しかし、私は臨床という仕事で「待つ」努力が出来るように、他では待てないようだ。これが悲しい。だから教えて欲しい。気を長-くするにはどうしたらいいのかを。そこまではお師匠さんも教えてくれなかったので。
そのお師匠さんの本が出版された。「臨床家 佐治守夫の仕事」(明石書店)である。「待つ」ことだけではない。臨床のエッセンスがぎゅっと詰まっている。こんな本が出るなんてほんと待っててよかった!みなさんにもご一読をお勧めします。


