「大失敗」スタニスワフ・レム著

スタニスワフ・レムって、(日本人の感覚からすると)変な名前ですよね。この方、ポーランド出身の作家で、代表作は『ソラリス(の陽のもとに)』というSF作品です。かつてソ連時代に世界的な映画監督アンドレイ・タルコフスキーによって映画化(近年アメリカのソダーバーグ監督がリメイク)されたので、映画のほうで覚えていらっしゃる方もいるかもしれませんね。SF映画といっても、スターウォーズのような派手さはなく、どちらかというと地味で内省的な作品でした。観ると、必ず寝ちゃう!なんて人もけっこういたりして。
今回、この「読んだら・・・」でご紹介する『大失敗』は、レムが最後に書いた長編小説で、異星人(地球外知性)との接触というテーマを扱っています。代表作の『ソラリス』も同様のテーマなのですが、レムのSF作品にとって、この「地球外知性との接触」はライトモチーフといえるほど重要なテーマです。だからこそレムが最後の作品にこのテーマを選んだのは十分に理解できるように思います。
しかし、そのタイトルが示すとおりレムが最後に描く接触は『大失敗』に終ります。そもそも地球外知性に接触するためには、天文学的な空間を移動する物理学的な限界、さらには地球の知性と地球外の知性が相互理解できるくらいのレベルにある時間的な限界など、難しい問題が山積です。しかし、レムが『大失敗』で描く失敗の原因は空間的・時間的な限界ではなく、むしろ人間的な限界です。あるいは人間の認識の限界と言い換えてもいいと思います。
宇宙という究極の外部に旅立った人間が、いつしか自分自身の内部を覗きこんでいるような、一種の認識の捩れ(ワープ)を体験する。じつは『ソラリス』も同じような捩れ構造をもつ作品でした。しかも『ソラリス』のほうは主人公が宇宙飛行士ではなく心理学者なんですから、よっぽど明示的でした。(いつも、サイコとは全然関係ない作品ばかり紹介して恐縮なんですが、今回は心理学者が登場したので、まだましですね)
そういえば、「猿の惑星」も同じような捩れを扱ったSF映画でしたよね。猿が支配する異星に不時着したとばかり思っていたら、そこは未来の地球だったという。もう少しつっこんで解釈すれば、他者だとばかり思っていたら自分自身だったというような捩れの感覚。あのラストシーンは、本当に衝撃的でした。
そもそも、空間とか時間といった脈絡が断絶しちゃった状況では、人間の自己同一性や他者性といった認識なんてものは当てにならないのかもしれませんね。もっといえば、普段から自分が正常だとか、しっかり状況を把握できているなんてことを過信しすぎると「大失敗」するのかも。。。そんなことを考えさせられる、レムらしい作品でした。
John 2007年11月23日 07:39:
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momoto 2007年11月26日 18:28:
Johnさん!
コメントありがとうございます。
記念すべき、サイコログ第1号のコメントです。
他者とのコミュニケーションの難しさを
あらためて思い知らされました。



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