内田クレペリン検査の歴史
内田クレペリン検査の歴史がいつから始まったのかというのは、なかなか難しい問題をはらんでいます。われわれ自身、この問題に答えるときには、いつも歯切れが悪くなります。
勇三郎自身はこのことをどんな風に考えていたのでしょうか?ここに興味深い文書(葉書)があります。その葉書は、昭和27年(1952年)に勇三郎自身が書いた年賀状です。あまり長くないので、全文を書き写してみましょう。(実物は最後にあります。)
賀 新 春
壬 辰 元 旦
御清康御越年大慶至極に存上ます
日頃無精な私も所謂 クレペリン内田法の研究だけは 三十年来どうやらつづけてをります 而し幸ひに之が利用されている各所の皆様からは 極めて 興味ある幾多の業績が発表され この検査法が近来長足の進歩をいたしました事は 誠に感謝にたえぬ次第です
何とぞ今后とも御協力 御教示の程願ひ上げます
内 田 勇 三 郎
日本・精神技術研究所
東京都渋谷区代々木西原町1000
この年賀状における記述によると、「クレペリン内田法の研究だけは 三十年来どうやらつづけてをります」となっています。昭和27年(1952年)から30年を遡ると、大正11年(1922年)ということになり、これは勇三郎が松沢病院の心理室に入って、E.クレペリンの「連続加算法」による作業心理の実験的研究に出会った時期にほぼ合致します。
これをもって、内田クレペリン検査の歴史の始まりとしてしまうのは、「勇三郎さん、いくら何でもそりゃあちょっと言いすぎじゃあござんせんか」とたしなめたくもなりますが、創案者の誇大妄想性と考えると、まあ、大目に見てやってもいいかというところでしょうか。
それと、検査の名称を、この時点では「クレペリン内田法」とよんでいることも、興味深いことです。



