内田勇三郎の簡単な生い立ち
このブログは、内田クレペリン検査の創案者で、
日本・精神技術研究所(日精研)の創立者でもある内田勇三郎についてのブログです。
ユウザブロウのブログということで「ユウザブログ」と名付けました。
勇三郎についてのエピソードや彼の心理学に関する仕事のことなどについて、
気楽に書いてみようと思っています。
勇三郎は、1894年(明治27年)に東京の銀座表通りのど真ん中(現、銀座4丁目)で生まれました。
家業は、専売制度が出来る(1921年)前の煙草商で、「内外煙草商」という屋号でした。
小学校は、島崎藤村や北村透谷も通った泰明小学校(現在も健在)、
中学校は、東京府立第一中学校(現、都立日比谷高校)でした。
勇三郎は、つまり典型的な都会っ子として少年時代を過ごしたということになります。
その頃、近くには築地の外国人居留地などもありましたから、
当時としては、相当ハイカラな環境で育ったことになります。
これは、勇三郎が終生ハイカラ趣味を通したことと深い関係があると思います。
ところが、高等学校は、なぜか岡山にあった第六高等学校に行きます。
(六高卒の有名人は、作家の内田百閒。勇三郎と風貌や奇人ぶりが似ていることから「ご親戚ですか?」と聞かれることもありますが、赤の他人)。
この六高行きというのが、勇三郎の生涯のなかでは謎の部分になります。
当時、お寺にこもっていたなどという噂もあり、勇三郎の煩悶期だったのかもしれません。
高等学校を終えると、東京に戻り、東京帝国大学文学部に入り、
心理学科の第一期卒業生となります(1921年7月卒)。
卒業論文は、「左利きの遺伝」というもので、カナリヤの左利きについての実験的な研究でした。
卒業してから数年後1923年に、東京府立(当時)松沢病院 心理室というところに就職し、
そこで、独の精神医学者E・クレペリン(1856~1926)の「作業心理の実験的研究」と出会い、
現在の内田クレペリン検査の着想のヒントを得ることになります。
(内田 純平 記)


